築地と豊洲の間から

東京湾沿いから、思ったことを書いてみます。

もものかんづめ

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この本の存在を知ったのは確か小学6年の時だったと思う。柄にもなく図書委員だったため、やたら女の子たちが借りていくのを覚えていた。学年中で面白いと言って噂になっていくこの本が、日に日にボロボロになっていくのを見て、普段はか弱ぶっている女の子たちの素性の悪さを知った。

そんな大人気な本を、私は借りられることはなかった。正確に言うと、ハリーポッター1冊を読み終わるまでに半年以上かかってしまい、とても追いつかなかったのだ。別にハリーポッターが好きだったわけではないが、仲良かった友人から宿題のように読むことを強制されていた。ほぼ昼休みは、日本経済を説明する池上彰のように、その友人からワンツーマンでハリーポッターの解説が行われた。

その苦行を乗り越えた私は、そこらへんのやつらには負けないくらいハリーポッターが詳しい少年になっていたが、高校までほとんど本を読まなくなったのはきっとこのトラウマがあったからだと思う。今、その友人はどこかの医者になっているらしいが、子育てに失敗していないことを祈る。

 

それから15年経った今年の8月27日、日中の仕事を終えて翌日の商談先である静岡に前乗りすることにした。18時に東京駅に着いてスターバックスで大好きなコーヒーを買い、東海道新幹線に乗り込んだ。パソコンを開いて仕事をしようとするが新幹線の小刻みな揺れはいつも私を即効で眠りに誘う。ハッと起きてそろそろ静岡駅だなと思った瞬間に、携帯に著者が亡くなったニュースが速報で流れた。閑散とした新幹線の中が、余計に寂しく思えた。静岡駅に着く瞬間にこのニュースが流れたのは、勝手ながら何かの縁かなとも思ってしまった。そのニュースが流れた後も静岡駅はいつもと何も様子が変わってなかった。まだみんな知らなかっただけなのだろうか。

それからすぐにAmazonでこの本をオーダーしたが、届いたのは2週間後だった。今もこの本の人気は衰えてなかったし、ちゃんと読むと人気の理由がわかった。

 

日常の何気ない出来事でも、視点を変えただけでシュールな笑いに変わる。水虫になっただけなのに、そんなこと思うかと感動する。電車で読んでは、笑いをごまかすために本で顔を隠したほどだ。しかも結構品の悪い下ネタが多い。小学校のとき、女の子たちはこの表現を読みたくて本を借りていたとなると、いかに女の子は早熟した存在だったか、野球ボールしか追っかけてない男の子など敵うわけがないのだと今更知る。

 

人にはその時に読むべき本があって、いくら良い本でも時期が違うとまるで吸収する量が違う。きっと小学校の時にこの本を読んでも本当の面白さはわからなかったと思うが、今読むとすごく身にしみる。

日常のどんなところにでも、笑いは隠されていると、笑いを失いかけた大人に生きる力を与えてくれる。